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摂津国の範囲はどこからどこまで?どこまで摂津国が栄えていたのか

摂津国の範囲はどこからどこまで?どこまで摂津国が栄えていたのか




「駿河国・安芸国・肥後国」など、戦国時代や江戸時代には今の都道府県とは違う国名(旧国名)が使われていました。

 

大河ドラマや時代劇などではおなじみの旧国名ですが正確には令制国(りょうせいこく)と呼ばれ、かつての日本の地方行政区分となっています。

 

関西には「摂津/和泉/河内/山城」などの国名がありましたが、大阪市内をほとんどカバーしていたのが摂津国(せっつのくに)です。

 

今回は摂津国の詳しい範囲や歴史、摂津国で起きた戦などをまとめていますので、ぜひご覧ください。

 

近畿地方の中心地!摂津国の歴史と沿革


近畿地方の中心地!摂津国の歴史と沿革


 


<摂津国の範囲とは?>

 

旧国名の摂津国ですが、現在の行政区分でいうとどの範囲を指すのでしょうか?

 

摂津国には以下の範囲が含まれています。

 

・大阪市全域(ただし鶴見区、生野区、東住吉区、平野区の一部については河内国エリア)

・淀川より北側にある高槻市、茨木市、摂津市、吹田市、島本町、豊中市、池田市、箕面市、豊能町、能勢町エリア

・兵庫県では尼崎市、伊丹市、川西市、宝塚市、猪名川町、三田市、西宮市、芦屋市、神戸市(ただし須磨区、垂水区、西区は播磨国に含まれる)

 

つまり現在の行政区でいう大阪市や神戸市、西宮市などの重要な地域が含まれていたのです。

 

摂津国は関西エリアでもかなり重要な地域にあったことがわかりますね。

 

<なぜ摂津国と呼ばれたの?>

 

なぜ大阪市や神戸市周辺エリアを摂津国と呼んだのでしょうか?

 

摂津国の名前には歴史的な背景があるようです。

 

・もともと古代の大阪湾には「難波津(なにわつ)」と呼ばれる港湾施設があり、難波津のことを「津国(つのくに)」と呼んでいた

 

・難波津は外交上、また内政上重要な役割を果たしていた

 

652年に難波宮(古代の宮殿)が完成し、壬申の乱に勝利した天武天皇は難波宮を副都として定める

 

・律令制度のもとで国の行政を担当したのは「国司」だったが、津国だけは「職」と呼ばれる特別な行政機関を配置

 

・津国を摂する(管理する)摂津職(せっつしき)が誕生

 

・桓武朝になり難波宮が解体され793年に摂津職は廃棄、新たに摂津国がうまれる

 

摂津国の名前は津国(つのくに)を管理する(摂する)「摂津」から始まっているという説ですが、じつは摂津の始まりには諸説あり、ハッキリしたことはわかっていません。

 

<摂津国の歴史について>

 

摂津国は7世紀頃から存在していましたが、古代の摂津国はどのような姿だったのでしょうか?

 

西宮市内の発掘調査では、建物や井戸、古墳跡などから川沿いに等間隔に集落があったと推測されています。

 

古墳時代の終わりごろになると竪穴式建物から掘立柱建物に移り変わり、さらに大阪湾は瀬戸内海航路の起点となることから港湾都市・物流の中心として栄えていきました。

 

726年には聖武天皇が難波宮の造営に着手し平城京の副都とし、744年には恭仁京から難波京へ遷都するなど摂津国周辺は外交や内政の重要拠点として大切にされました。

 

その後、桓武朝の長岡京遷都にともない難波宮は解体、さらに難波津も土砂の堆積により港の機能は神崎や江口へと移動。

 

時代は下がって平安時代中期になると、清和源氏の祖・源経基の子・満仲が摂津守に任命され、子孫が所領を継承して摂津源氏を名乗りました。

 

平安時代末期には平清盛が私財を投じて修築工事をおこない、鎌倉時代になると東大寺の重源が大輪田泊の修築事業を実施。

 

室町時代には摂津の守護職は管領細川氏が世襲、戦国時代には織田信長、伊丹親興、和田惟政、池田勝正、池田勝正、荒木村重、高山右近、中川清秀などさまざまな戦国武将により統治され、豊臣秀吉と豊臣秀頼が直轄領として掌握。

 

豊臣秀吉は大阪城を築城し、摂津国は商業の中心として大いに栄えました。

 

あの歴史人物も?摂津国の関わりが深かった人物とは


あの歴史人物も?摂津国の関わりが深かった人物とは


 

<聖武天皇(しょうむてんのう)>

 

奈良時代の第45代天皇、724年に即位した後は唐の国の文化や制度を積極的に取りいれ、先進的な国家づくりを推進。

 

仏教を厚く信仰し、平和な世の中が永く続くことを願い奈良の東大寺を建立、奈良大仏を鋳造するなど後世に残る文化を残したことで有名です。

 

726年に難波宮を造営し平城京の副都として重用、難波宮を最重要の地としていたことが分かります。

 

難波宮(副都)のある摂津国の繁栄に聖武天皇は重要な役割を果たしたのですが、多くの寺院を作るなどして財務状況が悪化し、最終的に出家します。

 

<源満仲>

 

平安中期になると摂津国に力をもった武将が現れます。

 

それが983年(天元6年)摂津守に叙任した清和源氏・源満仲です。

 

河辺郡多田荘に館を構え、嫡子の頼光も摂津守となり子孫は代々所領を継承し「摂津源氏」と称しました。

 

源満仲は渡辺綱や坂田公時などの有名な四天王を従えており、大江山の酒呑童子などを退治したエピソードがあります。

 

<平清盛>

 

平安時代末期になると平清盛が摂津国の発展に一役買います。

 

大輪田泊(神戸市兵庫区)に日宋貿易の基盤となる人工島(経が島)を築くことを発案し、私財を投げうって安全な碇泊地を設ける修築工事を開始。

 

仁安3年に平清盛は出家しますが、神戸市兵庫区に別荘を構えて地域を掌握。

 

大輪田泊を見下ろす山麓に福原京を築くほど、よほどこの地が気に入ったようです。

 

戦と摂津国 摂津国が経験した合戦とその影響


戦と摂津国 摂津国が経験した合戦とその影響


 


<湊川の戦い>

 

1336年(建武3年)に摂津国湊川(現在の兵庫県神戸市)で起きた戦い。

 

足利尊氏が率いる足利軍に対し、新田義貞や楠木正成を中心とする朝廷軍が対峙しましたが、足利軍の軍勢は50万人、対して朝廷軍の軍勢はわずか5万人弱。

 

10倍もの圧倒的な軍勢の差で足利軍が勝利したのが「湊川(みなとがわ)の戦い」です。

 

歌川芳虎作の「兵庫戦遠矢之図」は、湊川の戦いを描いた浮世絵として有名。

 

開戦直前に、弓の名手と言われた本間重氏が陸上の最前線から沖にある船に見事矢を命中させた場面が描かれています。

 

この戦いに勝利した足利尊氏は征夷大将軍となり、京都に室町幕府を開府し歴史が大きく動くことに

 

ただ国を二分した戦いゆえに、国内の争乱はしばらく続くことになりました。

 

<山崎の戦い>

 

摂津国と山崎国の境にある山崎で起きた戦い。

 

明智光秀の裏切りにより本能寺の変で命を失った織田信長、その知らせを受けた豊臣秀吉は中国遠征を即座に中断し、約2万の兵で主君の敵を討つべく京都を目指しました。

 

山崎の戦いで劣勢に追いこまれた明智光秀は、坂本城を目指して逃げのびる途中命を落とし、その後、豊臣秀吉は大阪城を築城し天下統一へと動き始めたのです。

 

<大阪の陣>

 

大阪の陣は慶長19年の大阪冬の陣と、慶長20年の大阪夏の陣からなる戦いで、大阪の役(おおさかのえき)とも呼ばれています。

 

関ヶ原の戦いで石田三成が率いる西軍を破った徳川家康は、1603年(慶長8年)征夷大将軍に就任しました。

 

天下統一と長期安定政権を狙う徳川家にとって目障りだったのは豊臣家、なぜなら徳川家にとって豊臣家は主君となり、うかつに手が出せない存在だったのです。

 

そこで豊臣家を滅ぼすため徳川家康は豊臣家に言いがかりをつけ、大阪で2回にわたる戦いが起こります。

 

大阪の陣の結果大坂城は落城し、秀頼と淀殿は自害、結果的に豊臣家は滅亡しました。

 

この戦いの結果、江戸幕府は長期安定的な政権が誕生し265年続く江戸時代が始まったのです。

 

まとめ


 

摂津国は今の大阪市や神戸市、尼崎市、西宮市など関西の主要エリアが多数含まれており、歴史的に重要な位置にありました。

 

淀川が流れていたことと京都や奈良に近いことから、飛鳥時代から海運の重要拠点として栄え、日本の外交・内政の要として重用されていた歴史があります。

 

さらに平安・鎌倉・南北朝・室町・戦国と多くの武将により支配されてきた歴史をみると、摂津国がいかに重要で魅力にあふれた場所だったのかがわかりますね。

 

今は旧国名が廃止され、大阪を「摂津国/和泉国/河内国」などと呼ぶことはありませんが、今でも摂津市という地名が残っている所に、歴史の名残を感じます。

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